Dally Umemo【ダリーウメモ】のプロフィール(※注意11400字)

ダリーウメモ自撮り




どうも!!みなさんこんにちは!DALLYです。私のプロフィールです。やっほい。※謎の詳細記述徹底主義が発生し、異常に長い文章となっているので覚悟されよ…(後半早足)ブルースとうどんが大好きなDALLYの半生を書きます。

 

この文章はライブドアブログ時代に書かれたもので結構読みにくいかもしれません。短いプロフィールはこちらにも書いてますのでどうぞ。

「まだブルースとか言うてます」はこんな思いで書いてます(随時更新)

2018.04.30

ダリーウメモって誰?【プロフィールのようなもの】随時更新

2018.04.30

誕生

1981年5月1日 大阪のあしはら病院にて出生(芦原橋にあるのかな?調査します)

血液型はO型 血液型なんて性格に関係ないとは言われるが典型的なO型のような気がしております。

父の祖先はおそらく滋賀の農民 母の祖先はおそらく淡路島の農民。

東日本には縁遠い甘いだしの文化におぼれて育ちました。

気ままに遊び愛される幼児時代



幼稚園に行くまでは割と楽しい時間を過ごしておりました。  母はよく「あのころは天才だと思っていたのだが・・・」と言います。  たまにツライ?3歳くらいの時、おもらしをしてしまい泣きながら両親と手をつなぎ 歩いたのが最初の記憶でしょうか。

BEBEとかの紫系のコーデュロイのサスペンダーズボンだったと思います。幸せでした。 BEBEって高いんですよね。 両親もうれしかったのでしょう。

4歳くらいの時、当時「マシンマン」という特撮ものがありまして、ヘルメット買ってもらって家のサイドボードのガラスに自らを投影しポーズしてました。 SO YOUNG。

私は今35歳。その歳になって内向的もクソも無いとは思いますが、はい、内向的な性格だと自認しております。しかし時折、かなり大胆なこともします。 引っ込んでいるだけじゃイヤなタイプなのでしょう。支配層からは危険視されるタイプですね。くわばらw。

幼稚園で世の理を知る

そして5歳の時に近所の幼稚園に入学(大阪府八尾市)。 そこで、それまでの自分中心のほんわか甘い香りの世界とは違う世間を目の当たりにするわけです。(注、地獄のような記述はありません。ご安心を!)

幼稚園ともなれば、家から出た   友達社会に出会いますよね。

僕ははじめ、自分の守るべきポジションというものをわかっておりませんでした。    下記の事件を起こすまでは・・・。</元来、自分はイケイケの姿勢を保てる精神構造では無い事が最初はまだわからず、とあるちょっとヤンチャな子を泣かせてしまう事がありました。次の日位だったかな。結構本気で仕返しされて殴られたような記憶があります。  向こうは向こうで必死に悩んだのじゃ無いでしょうか。

「やられたらやり返してこい!」という今となっては少し物騒な怒られ方を親からされたのかもしれません。

まあ、その一件から性格が暗くなったわけではないですが、なんとなく自分はイケイケの身分でもないなと悟るようになったのだと思います。

イケてる子に頭踏まれてもニヤニヤしてごまかしているような場面の記憶も残っております。

ま、あとはおおむね平和な幼稚園生活でした。 まだブルースとかいう歳でもないですね。

スミマセン以下、ですます調なくなります(唐突)。。

 

小学校時代    乾く話題は多いが…。

  幼稚園の隣にあった小学校へ。

家から150歩くらいの距離。通学の点からいえば大変恵まれていた。
 
 
   小学校時代は6年間、学校で大便することは即、吊るし上げの対象になった記憶がある…。子供は残酷なものです。小学校時代、図工の時間が案外つらかったような記憶がある。絵がヘタクソ、特に水彩での彩色がヘタクソ…。    ヘタなまま、先生に見せに行くとダメ出し→やり直しの連続。 創作の爆発なんてものは無い。つまらん型押し的な作品を量産、尊ぶ雰囲気があったように思う。
 
 
   小学校という時代においては足の速さやボールの投てき能力が結構重要だと思うのだが私は本当に肩が弱いのか、または身体の使い方が超ヘタなのでドッジボールなどではホント、活躍できなかった。   
    
 
   小学校四年生位からだろうか。私の中で目立ちたがり精神…というわけでもないのだろうがなるべくクラスの中で笑いを取りたいという欲が芽生え始めた。どこか芸人気質な所が今もある。が、笑いの世界で苦労したい!なんていう思いは毛頭無い。
 
   小学校四年生の6月からメガネをかけ出した。とても目が悪くなっていた。原因は…やはりゲームボーイのやりすぎですね。    子供には携帯ゲーム機は持たせたくないなあ…。
 
 
   小学校の頃はドラクエの話題に乗って行ける奴がメインストリームな感じがあったが私はあまりそっちには行かなかった。 ちゃんとプレイしたのはドラクエ5だけ。
 
   小学校五年生、六年生と仲の良い友達はできたが今も付き合いのあるのはほぼゼロだ。当事、クラスの女子がイジメられていたのだが今考えると…子供は残酷だとしか言いようが無いし、あの年代の子供を狭い共同空間に閉じ込めれば攻撃的な空気が醸成されるのは、ウーン…仕方ないと思う。   あの年頃は動物としての本能をむき出しでぶつけ合うのを躊躇しないしそれが美徳、我等の特権だとも肌で感じていると思う。
    救う手立てはもはやクラスの解体、不登校の敷居をある程度低くする…位しか思いつかない。
   私は教師でも何でも無いただのオッサンだが、もう少し学校というものを風通し良くできんものかとたまに考えている。
     そのためには教師など内部の人間ではもう不可能…と考えているのでま、ブログを通してでもその辺、アプローチしていきたい思いはある(中々しなさそうだが)
 
    で、話は戻るが当時…私は女の子がイジメられているのを止めなかった。    自分が直接的には加虐しないが、それをはやし立てる、面白おかしく解釈を加える…という下衆な役回りだった。     思い返すと反省…という以外無い。      が、当時はそれが面白かったのだ。  
   中々こういう話を実生活でする場面は当然無い。       なぜこんな細々した記憶を辿り、ブログに書いているのかも3割は不明である。    が、事実は事実。      ウソを書いても仕方ないのである。   しかし、当然陰鬱な人間風景だけを取り上げる気も私には無い。    そこまで若くない。 
人を救うのもまた人である。
 
   六年生のある時期にワッ!と顔に一気にニキビのような吹き出物が出来てすぐにおさまった。第二次性徴のはじまりである…。そして声が極端に低くなった。     居酒屋の店員など今やもう私の注文の聞き取りは不可能である…。

   

明るくも悲しい中学生活へ

ダリーウメモ
   中学一年生になった。よくある話だが体育の先生がとても恐く、心底ビビっていた。    それぐらい圧力をかけないと私より上の先輩の世代は風紀が中々保てなかったから…?というのも考えられるが、それはまあ、いい。   とにかく恐い存在だった。    
   体育祭では男子は組立体操をやる。    一年の時は逆立ちが出来ず風呂の中で泣いた。     両親へのアピールもあったと思う。  「こんなにつらいんだボク」という…。      今からするとくだらん話だが当時は大真面目に大問題だった。    こういうの親は扱い方間違えると子供はグレるのかな。    ま、環境も関係してグレる奴はグレるのかもしれない。
    不思議と中学校2年生以降、逆立ちで苦労した記憶は無い。多分出来たのであろう。    逆立ちできないと練習の時マイクで体育教師から叫ばれるのだ。
例「お前はツブシかぁあー!!」等。     
 
   さて、中学校2年はクラスの友達も笑いのノリも合い、笑いにおいては人生最高に面白かった。笑いにおいては文句無し。    私のポジションは他人の笑いの編集、味付け、拡張、誇張、反響の拡大…ツッコミ、そして自らもたまに笑いをとっていくとうもの。    ま、人に恵まれたからできたのもありますね。   当時明るかったのに今はとても暗くなってしまった人もおります。    アレ?私もそうなのか…?
 
    2年の音楽の時間だったと思うがクラシックギターをほんの短い期間やった。 少し洋楽なんかをかじり出した男子はちょっと調子に乗って弾いたりしていた(笑)。が、大人になった今、そういう者達はいたってマジメに生きており、その時分に充分エネルギーを発散できなかった私のような心の廃人はいまだにダラダラと、ギターなんか弾いているのだと思う。    その音楽の時間ではギターにまだ目覚める(笑)事は無く、ギターが終わってだいぶ後になってから、先生に「先生、エイトビートって何ですか?」って聞いた。   (高校の音楽の先生だったかもしれない。記憶がアイマイである)
 
   中学3年生になった。クラスの面々も変わり、日々の勝手も変わった。その頃一番私が何故かショックだったのは、一部の男子が圧倒的に異性を意識し出した事。
   私も全くしなかった…といえばウソになろうがそこまで露骨なものではなかった。当然、当時の自分のキャラにも原因はある。    イケメンでもなくメガネをかけてモソモソしゃべる私は大きなブレーキを無意識のうちに自分にかけていた。    つまりは奥手のウブタイプ。まだバカをやって笑っていたかったのであって男の獣性を前面に出して異性を意識するなどまだ考えもしなかった。
    
   そういう風だから、一年の時には一緒にしゃべってギャハハと笑っていた友達が三年生になると全く私を相手にせず、しゃべりかける事も無い、という事例が二、三あった。その代わりに彼らは今風にいえばスクール上位カーストでかたまってグループを作りタムロするようになっていた。    なんかそれがイヤだ、というか釈然としなかった。そういうのにムリに溶け込んで内部では軽くマウンティングしながら仲良い感じにやって、イケてないとされる外野の連中を露骨に見下す(当時そう見えた)という、まあ若者にありがちな精神性だが、それがたまらなく気にいらない。    ま、それが強く印象に残ってるね…。    お前らホンマ、オモロなくなったな…っていう。生意気言ってスミマセンテヘペロ。

   

地元の公立高校へ進学。

バレーボール部だったダリーの絵
  はい。書いて無かったが中学校では水泳部。    ロクに練習には行かず、水泳自体にも全く興味が無かった。
何故入部したんだ、といえば当時全生徒に何らかのクラブへの入部が義務づけられていたからだ。    スポーツ以外でもよかったのかは覚えていない。
 
    まー完全にダラダラした放課後だったので高校ではしっかりスポーツで青春したいという事になり、結局はバレーボール部に入る。   
    小学校五年、六年と2年間バスケ部に入っていたのでバスケもやりたいなと思ったが練習風景を見てすぐに諦めた。    バスケに打ち込む姿勢がすごく高かったし生半可な人はゼロに見えたから。    絶対についていけない感満タン。    &初心者歓迎感ゼロ。    今考えると何なのか、あの厳しい空気。    あの空気は顧問もそうだが生徒が作り出したものでもある。    まだ戦前が生きている感じとでも言おうか…。オッサンになった今、ギモンに感じる。若者の青春に命を賭けるという危険な独りよがりな高揚感に…。
 
 
    で、バレーボール部にはそこまでの危険は見出せなかったのだが(笑)案外そこもバレーボール初心者にとってはヌルい環境では無かった(笑)。同学年でも私以外は全員経験者でありかなり上手い。中学校どうしで繋がりもあったようだ。コレって無理ゲーですよわかりますか(笑)。    中々3年間ハードだったが、一年生の時は特にキツかった。恐い先輩もいたしね。。同学年にも恐い人おったし…。    ま、色々書きたいが今全部書くとまた膨大だ。 ゆくゆく書いていきたい?   
 
   で、高校一年の時のクラス。この辺の記憶まだ結構残っている。今35歳です当方…。   
   同じような話になるが、クラスメイトとほぼ話が合わなかった爆。無理やり中学校のノリで笑いを取りに行った事があるが完全にヒカレタ。。    
 
   「俺の笑いはすごく土着的なものだったんだ…」とショックを受けた。   同時にこれから3年間の学校生活が不安になった…。
 
 

 

高校一年生、経過

バレーボールやってるのにメガネかけてるしイケてない時代。それが高1の時。

   入学して割とすぐに遠足とかあったりするのだがイケテナイ私はイケテナイ女子メンバーのいるグループで会話も恐らくほぼ無い中で飯盒炊さんなんかした記憶が何となくある。    
    また、高1のもはや11月位になっていたような時分に、クラスの女子から「あっ、そんな声やったんや!」みたいな事を聞いた。   お察し頂きたい。    相当イケテナイ。
    皆さんはそんな時代無いんですか爆。
 

     

高校2年生になる。まだまだ恋人なんて夢のまた夢。

 

   いつだったか忘れているがメガネからコンタクトに変えた。   カネは親にだしてもらったのだろう。ありがとうございますホンマ…。    
    そこから少し暗いキャラ路線から外れる。    が、イジラレキャラである事に変わりはない。
    

     

高校3年生。

11月位だったか人生初めての告白をするも、ビックリされるだけで成就せず、収穫無し(笑)。    まー、今考えると…稚拙な持って行きかたでした。   だって仕方ないやんか…。    誰も教えてくれないし…。

    何故かバリバリかわいい子より少しズレた人が好きになります。これって本能が勝手に住み分けを働かせているのか…。    
 
    そして、バレーボール部引退となり(早いな)    夏も終盤から受験シーズンとなるわけです。    私は当時、今でもそうですがかなり視野狭さくの田舎モン。    東京の大学とか地方の大学とかも受験したいなあという考えは全く無かった。思いもしなかった。    家から通えるちょっとだけ要は「ええ大学」という事ぐらいしか考えが無い。    明確なビジョンも無いまま、関西大学社会学科を受験、合格した。      
 
 

 

覇気の無い大学時代

学科は四つ位あったが私はマスコミュニケーション学専攻という非常にイキった感じの(ごめんなさい)所を選んだ。    当時は西暦2000年。   現在のマスコミ界隈の凋落ぶりを見るとまー、先見の明が皆無だったとしか言いようがない。
    何となーく新聞記者トカに憧れていたのだ。    ま、今考えると、中々なれるものでは無いし、首都圏に報道機関は集中しているのだから一度は絶対東京暮らしがあるのだという予測をしたりするのが当然だと思うがそういう事も考えてなかったですね。    社会不適合者合格?おめでとうございます、ですよ全く…。
 
    カルト宗教団体サークルの勧誘でマンションで手作り料理を食べさせてもらったり、バレーボール同好会の集合場所に来ても誰も来ず不審に思いながらも家に帰った記憶であったり細かい事を話せばキリが無いですが大学生活を割とダラダラ過ごしておりました。    この時に私の中では中々の親友?とも言えるI君と出会います。    しかし最近全然会えてないなあ。   同じ大阪に住んでるのにね。   
 

   

あっという間に大学四年生(^。^)

黒人ブルースマンのイラスト 

   はい。長々とスミマセンほんと。
その前に大学3年の12月位でしたでしょうか…。      はじめて出来た恋人と別れてしまい、私は非常に落ち込みました。    言葉にすれば簡単ですが…。私の精神がとても幼いレベルだった事もあり、ズドンと落ち込んだのです。

ま、そっからは現実逃避です。就活からは出来る限り逃げました(笑)。    小中学一緒だった友達を引っ張り込んでバンド組んだりして。    その友達、N君は別の大学に通っており、一年浪人してました。

 

  彼は非常に音楽が好きな人で、色んなバンドを聴いてはりましたがギターはほぼ、初心者でした。   しかしバンドは一度やってみたかったらしい…。    
そこに私はつけこむような形で彼をバンドに加入させるわけです。    自分は半分自暴自棄でした。
   しかし、バンドと申しましたけれどメンバーは私とN君2人だけ…。
    お互いに交友関係が非常に狭く(笑)メンバーなんて集まらない。
当時、私たちは西宮の生ける伝説キングブラザーズのファンでありそれにならってギター、ギター、ドラムのベースの無いバンドをやりたかったのですがそれも叶わず…仕方なくギター、ギター、ドラム無しという「ただのフォークデュオやないか!!アホっ!」という構成で行く事になったのです。   
 
    で、N君はギター初心者という事でしたけれど私Dallyはどうだったのか?    ここまで書いておいて私のギター遍歴の記述がほとんど無い!事に驚きを禁じえません…。
   他の話ばかりしてしまいました。
この際だから私のギターの話は別の話で書きます(笑)。この段では私の大まかな歴史の方に重点を置きます。
    はい。そんなアホな構成でしたが、何回かライブも経験します。アホですね。    初めてのライブは大阪市中津のVi-code というライブハウスです。今でもあるそうですが…。誘ってくれたJ君に感謝。
    お客が割と入ってる場所でも一度やらしてもらいました。ドラム無しでよーやるわ。    エフェクターも無しでやってました。
(今考えると初めてのライブは八尾シルキーホールだったかもしれません…そこで川端さんというイケメンに中々イイね!と褒めて頂きました。あざっす)
   でもまあ、二人とも社交的でもなけりゃ営業もしていませんから、チケットは全然ハケず、チケットノルマはほとんど自腹で払ってました。
   途中から、私がドラムになり、N君がギター&ヴォーカルになりました。    私はドラムも出来るんですね。クソみたいにヘタですけれど。
 
 
    二人ともギターでやっていた時は衣装、音楽性共に先ほどのキングブラザーズから強くインスパイアされて…ではなくほぼ丸ごとパクってました爆。    ま、キングブラザーズから比べると迷惑な劣化コピーだった事でしょう。    人から「パクリや!」と言われる事はありませんでしたが…。それだけ演奏がひどかったのだと思います。
 

   

で、結局就活どうするの?

 

 
 
    当然、そうなりますよね。    完全にバンド一本に集中するワケにも行かず、僅かにイヤイヤながら就活しました。結局、面接受けたのは四社だけ…。それもホンマ、なんか…視野のせまい選び方したよーな企業群でした。    将来性とか安定性とかそんなのを考えていないのがよくわかるラインナップです。順不同ですが受けたのは加古川あたりに本社のある謎のホームセンター、某牛丼チェーン大手、大阪市にある食品卸会社、とある大阪のお香の会社、そして…内定を受ける事になる大阪の電機系卸会社…。五社でしたね…。
 
   これはまた別の項でもつらつら述べたいのだが五社でも自分的にはそれなりの数に思うのだけれど、当時のノリで行けば20〜30社くらい面接を受けるのはトーゼン!みたいな感じがあった。私にはそんな気力は湧かなかったしそこまで志望動機を掻き立てられる企業も探す事はできなかった。    今考えたら自分が悪いのだと思う。将来設計ができていないまるで…。 しかしそれから10年以上たった今から振り返るとまー、当時の私ではその程度の動きしか出来なかったし、それ以上のやる気も起きなかった。    今の私だったら多少はうまいこと面接でもしゃべくりできるであろうが…。

   

内定。賃金労働者となる。

汗をかくサラリーマン 

  2004年、大阪の電機関連の会社に就職。    小さな企業です。大学のみんなはどこに就職したんだろうねえ。
   しかしここがまあ、エライ所でして…今でこそ、ブラック企業って言葉もあるけれど当時はまだそんな言葉も無い。    仕事のためには喜んで命を捧げろ感タップリの会社でした(笑)。    同期は5人いましたが全員やめましたね。   すばらしい…。
   今でこそ、転職しまくってキャリアアップだなんてノリがほんの一部ですが芽生えてますけど…その考えは当時一般的ではなく転職ってなんかマイナスなイメージしか無かったです。でも、結局本当につらくなりちょうど2年で会社辞めました。自分の中で敗北感ありましたよ。逆にそこにいてもずーっと敗北感アリアリなんですけどね(笑)
 

   

そして転職。   精神は割と安定する。

 

 
   少ない友人である前述のI君の紹介で今勤めている会社に入りました。
   彼も僕が病みかけていたのを知ってくれていたのかな多分…。ありがとうございます…。
 
    紹介ですから面接はお話を聞いてるだけで難なく突破しました。もうその頃にはバンドはやってなかったです。半ば自然解散。友人N君はチケットノルマが金銭的につらかったみたいです。後はこの先の将来性の真っ暗具合もありました。そりゃそうです。     マトモな歌詞もあまりないパンク轟音ブルースなんて誰が聞きたいねんっていう…。
   解散してから…つまりは25歳位から31歳位まではあんまりギターを弾いていなかったです(笑)。実家のデスクトップパソコンの電源を入れて起動するまでの2、3分、エレキギターをアンプにも繋がずに鳴らす位だったような。まー、バンドサウンド以外知りませんでしたからね…。ギター一本でブルースは出来るんだって事に全然着目していなかったです。
   その頃はホワイトストライプスとかその辺を聞いてました(テキトーだななんか)。    二人組のデトロイト出身の伝説的バンドですね。出た当時はよくガレージロックバンドにカテゴライズされてましたね。「おおお〜カッコイイな〜。またいつかバンドやりてえ…」なんてボーッと考えてました。
が、友達が非常に少ないのでそれにのってくれるのはN君しかいない。    が、彼は彼で東京へ働きに出たりして忙しいわけです。     後は夢想ですな。   「あー、カッコよくギター弾いて評価されてー爆」という…
 
    

   

いきなりですが結婚!

 

 
   2012年、31歳で結婚しました。結婚出来たのはまあ奇跡に近い。妻よ、ありがとうございます。   それまではずーっと実家にいたクソヤローでした(笑)。一転、二人で暮らし始めます。
   はてさて…マンションでもギターは持参してましたがあんまり最初は弾かなかったね。    妻にもギターの話はした事無かった結婚するまで…。    ヘタなギターが恥ずかしくて中々よー弾けなかったのです。
 

   

そして、段々とブルースに傾倒。

まだブルースとか言うてます 

  結婚してから一本ギターを買いました。アンプ内蔵のアパッチというvoxギターのティアドロップ型。クソみたいに安いギターですが私は気に入っております。
    それと前から持ってたテスコの中が空洞になってる青いギターでオープンチューニングで弾き始めました。最初はオープンDばかりの記憶です。    
   そのギターの演奏で自撮り動画が残ってる最古のものが2015年3月、ミシシッピ・フレッド・マクダウェルというブルースマンのコピーを弾いているところ(全然コピーできてないけど)。動画撮るまでに彼の曲はかなりの時間を練習しましたがあの感じはとても出ませんでした。それでも何とか少しでもモノにしたいという欲求を掻き立てられていました。
   チューニングのオープンGで最初に練習したのはBlack Aceというあまり名前の知られていないブルースマン、というか普通のおっさんという感じの人です。まんま「Black Ace」という曲をYouTubeで見つけ静かな衝撃を受けました。    はじめてちゃんと歌詞を紙に書いて英語の詞を覚えようと努力した曲です。それも33くらいの時ですからいかにギターにおいてそれまで怠惰な姿勢であったか…と反省…と行きたいところですがそれまでの逡巡、右往左往がなければこの道にはたどり着かなかったのだろうなと言い聞かせます(半笑い)
 

アコースティックギターに手を出したのはなんと33歳!

 

 
    遅咲きです。もう少し遅ければそのまま立ち枯れしていました。
   その頃まで 私にとってアコースティックギターの音ってとても満足できる音ではないものでした。
   よく知らないのですが日本でフォークミュージックが流行った70年代の映像なんかをちらっとテレビでみても正直心動かされるものはありませんでした。また、それ以降も散発的に流行ったりしたギター弾き語りスタイル。それももう一つピンときませんでした。    日本人でピンときたのは友川かずきさんだけです。
   そんな感じですからアコギには全く興味がわきませんでした。
   しかし古いアメリカのブルースに触れるうちにアコギの今まで知らなかった音質に気づかされる事になります。それまでアコギってジャカジャカ、コードを弾くものだと思ってましたがブルースマンの弾き方はそんなもんじゃない。   なんか悪魔的、蠱惑的、呪術的?な面もあるし歯切れもいい感じ。    これはアコギを一本手に入れて俺もブルースを唄いたいという欲求がフツフツと湧いてきました。    アコギってこんなに説得力あるんだなという感じです。
   そして、何を買おうかなと迷っていた時何となく小さめなギターにしようと思いたち、Taylorというブランドのミニギターに狙いを定めました。    当時五万位したのでアマゾンだったと思いますがポチるのは勇気がいりましたが「エイヤッ!」と気合を入れてポチり、妻にギターを買った旨を伝えると
   「おい!また買ったんかい!」とツッコまれ「あっ、やっちゃった」
という流れに…。
   テイラーギター、たまたまなのか、最安値をポチったからかは謎ですが品切れ、納期もわからない…となったため、妻の父親がギターを数本所有している…との事でその内の一本を借りてくれる事になりました。    2015年3月か4月かの事です。
    やってきたのはS.yairiのYD38Nというモデル。ともかくアコギにあやかる事が出来ました…。
 
 

   

急な事に…

 
   ギターを借りて2ヶ月位たった頃、そのお父さんの訃報が携帯に…。
    闘病中ではあったのですが詳しく経過を聞いていたわけでもなかったので「ええーっ!?」という感じ。
 
    案外、人間はあっけなくあの世に行くんだな…とらの思いを強くし、ギターの練習も…まじめにやらないとすぐにあの世だな…と。    
    同時に上手くなるのを待ってたらこれはいつまでたっても人前で発表の機会なんて無いなあと思いました。   
    今日の時点でストリートライブとなまだやってないのですがいずれやりたいなと思います。
    グダクダ理由つけてなーんにもやらない性格の私ですが地道に芸能活動もがんばろ(笑)。プロになろうとかそういうのは思ってません…しかし「表現」という事に飢えが出てきたのです。なーんも「表現」せずに死ぬのはイヤだという思いが出来ました。「表現」って言ってもオリジナル曲とかやってないのですが…全部昔の人のコピーですし…。
それはそれでいいのではないかと思っております。形式美ってのもあるし。

本日は2017年2月26日日曜日です。
アコギ弾きだしたのが2015年4月位。
お義父さんが亡くなったのが、2015年五月下旬。
ツイッター始めたのが2016年9月
>インスタグラムも同じ9月。

この全然更新できていないブログをやり始めたのが2016年11月…歩みが遅すぎてびっくりですが僕の静かな冒険が始まっております。</spa
人生の一とき、私のようなアホがいた事を少しでも覚えてくれたら幸いですありがとう。




ダリーウメモ自撮り
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荒ブルース!!なギター弾き語りをお届け中!!

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ダリッター!なるべく有益な事をつぶやきます!フォロワー大募集中!!

ABOUTこの記事をかいた人

35歳から人生と稼ぎ方を見直しに入ったスロースタートな気絶系ブルースマン、ダリーです。大阪市在住。情弱オッサンからの脱却方法をご提案致します。ブルースと転職関連記事が多め。 当ブログは「自分の人生ってホント、面白くないよな〜…」と言う潜在的な悩みを抱えている人たちに向けて書いてます!!!  ネットを駆使して、情弱だったただの社畜オッサンが激ヤバになっていく過程をお届けします。みんなにもそうなってほしいですね〜。 ブログタイトル通り、ブルース好き。2018年10月からYouTubeも始めました。